旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

「(楽しみに繋がらない有象無象に頭悩ますことを)やぁ~めた。」

楽しみに繋がることだけをしよう、楽しみに繋がらない有象無象で頭を悩ませる時間が如実にもったいない、例えば、同僚と旨いめしを食うべきか一人で食うべきか。そのために声をかけるべきかかけないべきか、13時からの会議に間に合うために始めるべき旨いものの宴の時間は。

 

やぁ~めた。他人への気遣いで、旨い飯も味を落とす。製品が、サービスが、海外が、不具合を起こしたとして下げたその頭、人間の尊厳をもってあげさせるのが政権の役割か。やぁ~めた。世の中に期待することも。身近な他人への貢献だけが、幸せに至る小さな小さな種。

 

周りの人と仲良くしましょう、一期一会しましょうと言っておきながら、初日から見せられる教材はモラルとマナー至上主義の安全論、他人に不快な思いをさせることはやめましょう、ならば仲良くなる手法など実行できないが???他人に踏み込む前にまずは自己開示すればいいのか、とて、自慢話のオンパレードとして進むべきウザシの道、見えてしまうのだが?

 

人見知りですと言えばすべて解決するのか?四方山な他人に仕事を与えられ優先度をねじ曲げられることを喜びに感じることがなぜ喜びの源泉足りうるか?周りに助けを求められて「人がいいから」助けたとして調子にのって回路開かれるのであれば、コンフォートゾーンを抜け出してまでも「求めない」その意思を頑なに閉ざし受けとることはない救いの手。

 

過剰な説明責任が重荷となり項垂れた頭、圧迫される首の筋肉で血流が締め出された。そんな日常茶飯事が、叩き出す高ストレスのスコア、面倒を避けて周囲への攻撃の手を緩めれば、見て見ぬふりが答えだよ最新鋭のチャットボット。本音を言わない限りストレスチェック産業医面談も意味ないね。君たちへの信頼は何を根拠にすればよろしいのか皆目見当がつかないのだが?

 

結果無表情に選びとる「与えない」日々に、人間性の回復をもたらそうとして堂々巡りの「仲間への信頼」、最初からないことにしてしまえば悩むこともないのに、善として写し出されたがゆえの拘束力が現実との比較を繰り広げ、劣等感と罪悪感を増幅させては「人間関係の破壊」を原因とした転職活動でリセットする。

 

世の中の声をリセットするために、脳内に反芻する周囲の知っている人への投影を打ち消すように、そして片っ端からかこの知人を記憶から抹消していき、「重要ではない思い出」としてスルメのような薄っぺらいエピソードとして圧縮し、「解放された」と被害者ぶる私というの人間、悲しませているだけなのではないか?

 

知性も、情動も、意思も、その機能を高めるための動機を必要としていて、射手座満月とて即答は難しくなってしまった、本心の迷路を丁寧に解きほぐすが先か、干からびた心が不可逆な進行を遂げ幕を閉じるのかどちらが先だろうか?