旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

楽しいか?

子育ての方法もわからず、途方に暮れ、しまいには誰とも話したくなくなる。本当に子供が理由なのかなんなのかわからないが、パパはまるで死んだ魚のような目をしながら、いきなりステーキや天下一品でランチをしているよ。鬱々としながらも食欲はあるあたり、単にすべての義務や責任を投げ捨てたいというだけだ。

 

すべてのことに意味が感じられない。会社にいくことも、仕事をすることも、いうことを聞かない子供の躾をすることも、将来について考えることも。楽しいとか、嬉しいとか、自分の基準で何かを感じたり選びとったりすることができなくなっていて、それは今に始まったことではなくて生まれたときからそうだったように思う。

 

周りの顔色を伺ってヘラヘラと笑い過ごす自分に、表面上であれまともに接してくれるのは何でなんだろう。心が病んでいることに誰も気付かないのかな?人と顔を会わせるのがめんどくさい、ただし、仕事の話ならばいいのだけれど。人となりや私生活に死ぬほど興味がなく、言葉を発することすら苦痛に感じる。

 

旨いものを食う。たしかに、それは人とか変わらなくてすむ唯一の私利私欲を満たす行為のように思える。何かあったときに備えて、金のかかる趣味を持つのは止めよう。他人ありきの娯楽は期待値との解離が発生するから持たないようにしよう。

 

生まれてからほとんど映画を見ることがなかった自分は他人の人生に興味を持つという人間的な心が全くもって育たなかった。今持っているタスクを手放すこと、それ以外のことはどうでもいいと本気で思っている。 誰にも共感せず共感もされない人生をこれ以上続けることに何か意味があるのだろうか?完全に心が死んでいる。

 

心が死んでいる旨をどなたに報告すればよろしいか?社会的な価値を下げる人間が発生しようとしていることを世間が関知し排除または治癒することが健全ともとれるし、なにもしないのが正解とも取れる。犯罪もおかさない、他人を傷つけることもない、そういった人間がまた一人闇を深めてどこまでも沈もうとしている、人との関わりを絶とうとしている。

 

ある意味では、俺はすべてを終えた。安定した収入、家族、ルーティン化された生活。それに伴って捨てることを選んだ無謀な夢、願望。今ある生活に少しでも満足し幸せを感じられるようにと忍耐を鍛え、幸せや刺激を追い求めることもやめ、老いていく心。あらゆる作業をこなし、諸々のバランスを取る生活を日々送り麻痺していく心。誰にも、自分のことを話せない、悩んでいるかどうかもわからない。

 

仕事で成果を出す、人に頼られる、人脈を増やす、何の意味がある?何が楽しいか?