旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

褒美などいらない

生きている時に経験する、辛いことがあるだけで誰かにヨシヨシ(i_i)\(^_^)を希望することはもう諦めた、血反吐を吐きつつも静観されるそれでいい、もう誰かになにかを求めない、期待しない。

 

冷たい心を温めましょう、もういいよ、冷めたまま淡々と生きるしか、多くを望まない生活に不満を抱かないことが、発狂を防ぐための自己防衛、松屋の定食並みにありふれて安定した生活に似た何か。

 

伸びなくていい、褒められなくていい、既に怒ることも手放した、誰にもなにも求めずに生きていくことを決めたから、苛立ちも感じなくなった、それとも新しい種類の安定と安心を手にしたから?

 

忌み嫌っていた自分語りを始める理由があるとすれば、誰にも言うことのできない遠慮の塊が、ボコボコになって変形したその姿を乾燥させる前に記録に留めておきたかったから。書くことすら、婉曲してしまい、誰かを傷つけないように狂ったふりの文章で真意をずらす。

 

辛うじてユーモアを、と気遣った故に書けなくなったトゲパワワ、カチカチに固まって自我を破壊せしめる前に、せめて誰にもわからない形で昇華させないと不能になってしまう。役割など、責任など、使命など欲してもいないのに「有り難く」受け取ってしまう正常な自分を解放するための装置が必要だ。

 

人格など、いくら存在しても構わない。それぞれが統合されて間違った局面で間違った形で提示されなければいくらでも飼い慣らせばいい。嘘をつく度に新しい自分が生まれる。まるで何かにとりつかれたかのようにノートやペンを買い漁る自分が本当に求めていたのは心の奥底にある言えないすべてを解放すること。

 

本を読んで人の痛みに触れ、思い出してしまった、気づいてしまった。地獄を経験してきた人の発する言葉以外信じたくない。本当に心の苦しみを乗り越えたときの経験以外、理解できない、響かない。誰の地も涙も感じられない教科書はすべて焼き払おう。

 

人の心を、傷つけまいとかばうために攻められた自分の心が、悲鳴を上げて洪水のように巻き返し、現実を見えなくする。社会の声が、補正されて、自分の人生を否定するように聞こえさせる。自分の努力を否定するような大衆の声ばかりクロールしてくる。

 

だからそもそも、気休めや称賛を求めて社会の声を探さない方がいい、どうせ自分を大切にしない人間には、自分を大切にしてくれない人の声しか拾えないのだから。最初から見なければいい。最初から自分を向き合って自分への見方を変えればいい。