旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

ワカルワカルの時期

生活、ということを思うのである。次々と言葉が消えていく前に記録しないとと思う。「弱ったな~~~、感傷的になることを恐れるあまりに無感動になってしまったよ~~」というのが昨今だとすれば未来は?

 

人として肝心な心を思い出そうとするや否や、照れ隠しのユーモアがそれを打ち消そうとする。「いっそのことポエマーになっちまいなよ~。」それもありかもしれない、しかし、その発言がカツオのものであったとしたら?

 

B級にはB級の良さがあって、魂のレベルが高い状態でしか読めないような文章にだけ、価値があるとは言えないのではないだろうか?常に共鳴できるといえるだろうか?いったい芸術っていうのは、本当にそれ自体が目的なのか、はたまた通過点なのか?

 

「いいんだよ。」と水谷は言い、「ひどく混乱していた。」と村上は言い、「今でしょ。」と林は言う。すべてその通りで、何も異論がない。抽象的で人を傷つけない言葉を集めよう。本を書こう。詩集がいい。説明をしないということを心がけよう。

 

旨いものって何だろうか。店の雰囲気か?そこにバーミヤンがあったことを俺は思い出す。そのバーミヤンは輝いているか?負のオーラが漂ってはいないか?おひとり様にドリンクバーという不全感を注文し、何かが欠けているという安心感を得る。デザートとセットならさらにお得に。

 

1人でレストランに行けない。定食屋はいい。ファミレスはダメで、ガストはいい。基準は明文化できない、自分の中の不文律、大英帝国憲法。「じゃあドレミファソラシドはどうなのよ?」誰か止めてよサザエの軽口を。

 

同じように揺蕩っている人を見て安心する。ああ、ワカルワカル。責任とか、正義とか、正しさとか、進歩とか、そういうものについて語られていないことが本当に安心する。そういう時期なのである。ワカルワカルなのである。