旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

歴史、ということを僕は思った

江戸東京博物館の中にある日本テレビ放送網の放送開始時の様子を模したオブジェの前で打ち震えながら、である。この国は戦争で負けたんだ。空襲から立ち直り、焼け野原を一から建て直し、文化を、生活を、経済を、作り上げてきたのだ。それを何だ。戦争で負けたこともない国で生まれた、電脳世界の産物に俺は従事している。

俺は自分自身の無力さと無知を恥じた。本質からかけ離れているのではないだろうか。労働とは。国家とは。生活の基盤が祖国の歴史に基づくものでならなくてはないのだろうか。何々すべきという考え方を手放さないといけないのだろうか。

家族のために自分の幸せを犠牲にしている?夫のため?子供のため?国のため?犠牲とは何だろう。何故個の幸福と全体の幸福が一致しないのだろう。エンターテインメントの一部として芸術が消費されることを、どう解釈していけばいいのだろう。民度の問題?価値とは?娯楽とは?

忘れない、ということは本当に正しいのだろうか?負の遺産を、怨念を、苦痛を、精密に記録し伝えることが、本当に未来の開拓につながるのであろうか?どうすれば?過去にとらわれ、ひとつの恐怖、ひとつの不安に人を縛り付けることになりはしないか?ちょうど交通遺児の家族がその人生に対して負うのと同じように?それすらも映画による刷り込み?

では映画を見る意味とはなんだろうか?わからない。俺はこのようにして、いつもわからないのである。