旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

安息の時間から開放されるということ

例えば自分が余暇を過ごす上で期待されている役割、自分に課している役割、期待される効果。そういったものから解放されると考えたとき、社会生活に戻りストレスを受けることに安堵に似た気持ちを覚えることはないだろうか?

休日である以上、心身ともにリフレッシュしなければならない。明日への糧を得てより健全な状態にならなければならない。よりスキルアップして前向きな姿勢で社会に復帰できるように力を蓄えなくてはならない。休日を過ごすことにそういったプレッシャーを感じてしまっていることはないだろうかと問うているのである。

休日とは何のため?来るべき仕事のために心と体を休めるためであり、目的は業務の効率化、社会生活の円滑化のため?はたまた家族との時間を過ごしてその絆を深めるため?

じゃあ休日に家族と喧嘩したら?ハードなスポーツに挑戦して肉体的な疲労が蓄積したら?何もなく退屈な時間を過ごしていたとしたら?その休日は良くない過ごし方であったというのであろうか?休日に何をするべきなのだろうか?ストレスの発散?それを一時的な最優先事項と置いたとしても、発散が完了したら次に何に取り組めばいいのか?読書により知識をつけることは仕事に直結しないけれども長い目で見れば人間性の向上につながる?もっと優先させるべき事項があるのではないか?

読書とは?暇つぶしのための読書という表現を聞くたびに、暇なのであればもっと有意義なことをすればいいのにと思ってしまう。きっと何かの役に立つ、人様に語っても恥ずかしくない、という時間を過ごしたと言えれば、休日を効果的に過ごしたのだと主張することができる。でもそれは何の義務感に対してそう回答しているのであろうか?やりたいことをやればいいのではないかと、小説の中に出てくる理想的な異性なら言いそうである。そして、自分のやりたいことって?と自分に問いかけるのである。自分のやりたいことも言えない。自分はあの人を幸せにすることができるのであろうか?自分は魅力的な人間だろうか?との問いに続くのである。