旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

『本は10冊同時に(以下略)』の感想を思い出したように書きなぐる

大体において高圧的な物言いの人間の話や書いた本は気持ちよく読めたものではないのだが、単に頭の固い爺ではないらしいというのが、書いてある文章の内容とか、読んである本の紹介とかで見てとれるのであるが、この本の最後の方に以下のような下りがあり、はて、と思うのである。

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じつは、私の趣味は読書でも、小説はほとんど読まない人間である。

とくに純文学は文章に力がありすぎて、読むとしばらく何も考えられないほどの衝撃を受けてしまうからだ。

(中略)

言葉の力に圧倒されてしまうのである。日常生活に支障をきたすので、あえて読まないようにしている。

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ほほぅ。じゃあさじゃあさ、ひょっとするとこの人は、要職に就かず仕事で大成しなかったり、物腰の柔らかいペルソナを後天的に身に付けていたり、深い悲しみにくれて精神的放浪に終始する人生を送っていたら、文学的な感性をグングン身につけて物の憐れに涙を流す多感的ナイーブ人間になっていたのではないか?という可能性が頭をよぎるのである。

 

「本を読まない人はサルである」などという謳い文句が本心から出てきているのか、本を書く上で必要なキャラとして演じられているのかはわからないが、純文学や小説ばかりよんで言葉の力に圧倒され続けていたら、こんなサブタイトルをつけることはなかったであろう。だいたいどうしてこういう否定系のキャッチコピーでものを売ろうとするのであろう?見たものに植えつけられるささやかな不快感が反発とともに商品の注意を喚起し購買への可能性を高めている???ふざけるなやぁ~い。

 

人は叱られるのが好きだというのを何かの本で最近読んだのであるが、まるで理解に苦しむ之助である。テレビにしても学校教育にしてもそうだ。こんなやりかたではならない、自分の今までのやり方を否定して代わりに新しいやり方を提示される。楽だからかぁ~?今までの自分が間違っていて、これからあたらしく提示される概念が正しいという裏付けを、そういう物言いとそれが醸し出す空気感がすでに準備万端整えられていつの間にか敷かれた赤絨毯の上をチンケな論説が我が物顔でサル顔視聴者にお届けされているよ~?!

 

何も松岡修造のことを言っているのではないのである。ただそういった力による主張、否定による自説の補強、そういった行為は無駄だし無意味だよ長門の言うとおり、ということを早く僕たちは未来に行って教えないといけないよドラえも~ん、何か道具出して~、というのび太的な観点から見たジャイアニズムへのアンチテーゼ。そういったことを伝えるためにはてなブログが存在しているとは、私は思わないのだが?