旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

全っ然減んねえや。

やるべき事が全っ然減んねえや。タスクに埋もれ、大切なものを見失い、生きてる意味も雲隠れ。何のための、誰のための生活。不安から来る心配を打ち消すための、確認、必要か?何事もなければ済むというだけの話ではあるのだが安全を担保するための作業、確認、それらは本当に人間がするべき事なのか?

 

すり減った心に栄養を与えるために、今日も正月気分の引き延ばし。元旦に放送された番組を見るや、瞬時にして「楽しさ」「懐かしさ」回帰して、脳内に黄泉がえる。これ以上のすり減りを許すまいと目を背けた現実に、辛うじて見いだすことが出来た心地よさ、それは他人のものなのだけれども自分さえそこにいるかのような身勝手な没入感が干からびた神経に水分を与えていく。

 

将来の不安も、準備すべき事も、やっておくべき備えも、見つけようと思えばいくらでも見つかるが、「楽しいか?」その一言に足元救われ、足りない時間・労力・体力・気力が不実行を促し、消すことの出来ない不安が気味悪く渦巻く。

 

言いてえのは、楽しいことを考えよう、ってなことで、責任も、義務も、労働も、ひたすら社会によって一方的に肥大化され無制限に課されるものなのであるから、それを守るのは自分しかいないわけなのだよいつも。だから今日も今日とて、「過去の楽しい思い出」「感動した風景・音楽・芸術」などが必要なのであり、むさぼるようにそれらを消費して脳内を永世中立に持っていく必要があるワケよ。

 

笑い以外に何があろうか?笑い以外に何を信じることがあろうか?共通の時間とて、境遇とて、体験とて、笑いの前提には必要なくすぐに発生させることができる。幸せな老後はいくら笑いを生活に取り入れることができるかにかかる、などと愚言を放り散らかせば、何となく悟ったかのような自己十全感がホラ、眠りにつく理由を与えてくれた。

愚眼を閉じ旧き善きを棄つらず浸す事哉

過去にいいと思ったものは、何回も見ればいい、聞けばいい、味わえばいい、何でそれに気がつかなかったのか?新しい消費、新しい知識、新しいスキルばかりを追い求めるよう仕向けられた社会的ラットの末路が、自分の幸福よりも経済の活性化、自分の満足よりも他人の利潤、自分の達成感よりも組織の目的達成にひたむきに突き進むようになりんしゃった?

 

なぜ新しいものばかり追い求める必要がある?モノが売れるからだろうが、サービスが売れるからだろうが、経済が回るからだろうが、それは誰のためか考えて見?自分のために、自分を満足させるために金を時間を体力を使えなくなったら終わりぜ、何のため誰が為に生きとるのか?それでいて生きる意味はどこにいると問うている戯けに?

 

脱・戯け宣言を高らかに、堂々と思い出に浸ればいい、同じものを、慣れ親しんだ安心を、ハズレを引くリスクのない安碑を、しゃぶり尽くせばいい。馬鹿げるな?なぜ不必要な血を流してまで新しい退屈に手を伸ばしていた?自分を成長させるため、新しい学びを得るため、という出来杉的価値観をビジネス界隈の愚人に植え付けられたから?若さゆえの方向性を欠いた上昇志向が自尊心を底上げしていたから?

 

例えそれが老いであっても、安寧が約束された娯楽に手を伸ばせ、自分の殻など破るな?どこまでも蔓延る的はずれな流行を受け入れる愚眼を閉じ、自分のアイデンティティを破壊することの無い価値のある過去堆積物の中に埋もれ己を肯定する術を持て?何度捨てても甦るほどの強烈な自己肯定を産み出す芸術に触れてきた事実を、棄つらずに開眼し追体験する毎日が満足であるが是であろう?

「(楽しみに繋がらない有象無象に頭悩ますことを)やぁ~めた。」

楽しみに繋がることだけをしよう、楽しみに繋がらない有象無象で頭を悩ませる時間が如実にもったいない、例えば、同僚と旨いめしを食うべきか一人で食うべきか。そのために声をかけるべきかかけないべきか、13時からの会議に間に合うために始めるべき旨いものの宴の時間は。

 

やぁ~めた。他人への気遣いで、旨い飯も味を落とす。製品が、サービスが、海外が、不具合を起こしたとして下げたその頭、人間の尊厳をもってあげさせるのが政権の役割か。やぁ~めた。世の中に期待することも。身近な他人への貢献だけが、幸せに至る小さな小さな種。

 

周りの人と仲良くしましょう、一期一会しましょうと言っておきながら、初日から見せられる教材はモラルとマナー至上主義の安全論、他人に不快な思いをさせることはやめましょう、ならば仲良くなる手法など実行できないが???他人に踏み込む前にまずは自己開示すればいいのか、とて、自慢話のオンパレードとして進むべきウザシの道、見えてしまうのだが?

 

人見知りですと言えばすべて解決するのか?四方山な他人に仕事を与えられ優先度をねじ曲げられることを喜びに感じることがなぜ喜びの源泉足りうるか?周りに助けを求められて「人がいいから」助けたとして調子にのって回路開かれるのであれば、コンフォートゾーンを抜け出してまでも「求めない」その意思を頑なに閉ざし受けとることはない救いの手。

 

過剰な説明責任が重荷となり項垂れた頭、圧迫される首の筋肉で血流が締め出された。そんな日常茶飯事が、叩き出す高ストレスのスコア、面倒を避けて周囲への攻撃の手を緩めれば、見て見ぬふりが答えだよ最新鋭のチャットボット。本音を言わない限りストレスチェック産業医面談も意味ないね。君たちへの信頼は何を根拠にすればよろしいのか皆目見当がつかないのだが?

 

結果無表情に選びとる「与えない」日々に、人間性の回復をもたらそうとして堂々巡りの「仲間への信頼」、最初からないことにしてしまえば悩むこともないのに、善として写し出されたがゆえの拘束力が現実との比較を繰り広げ、劣等感と罪悪感を増幅させては「人間関係の破壊」を原因とした転職活動でリセットする。

 

世の中の声をリセットするために、脳内に反芻する周囲の知っている人への投影を打ち消すように、そして片っ端からかこの知人を記憶から抹消していき、「重要ではない思い出」としてスルメのような薄っぺらいエピソードとして圧縮し、「解放された」と被害者ぶる私というの人間、悲しませているだけなのではないか?

 

知性も、情動も、意思も、その機能を高めるための動機を必要としていて、射手座満月とて即答は難しくなってしまった、本心の迷路を丁寧に解きほぐすが先か、干からびた心が不可逆な進行を遂げ幕を閉じるのかどちらが先だろうか?

スッカリ金の事を忘れていた

中華料理屋の前にベンチがありますわな、そこ並んでおったらば、うしろのおっさん二人組が、今株価が低空飛行じゃ、バーゲンセールじゃ言うとって、「あ、株の投資を今後どうこうしていくことを完全にすっぽけていた」と気づいたわけよ、てか"すっぽける"て何。

 

ちょっと前にもう止めじゃ止めじゃ言うて、チャートが乱高下だの株主優待だのそんな世界からは足を洗ってセボンセボン、確定拠出云々もすべからく元本確保でええじゃないの、なんつうて一つ心の平穏を脅かすファクターを退けたかのように勝ち誇っておってからの忘却よ。

 

それがバーゲンセール、ってなキャッチーなワードをダサめの中年から聞いてしまったら、俺とて、多少何かが奮起しないとも言えないわけよ、ひょっとしてこれはチャンスと呼ぶのではないの世間的には、とか思わなくもないわけよ。

 

でも中年は続けて、3月にまたアメリカと中国が話し合う故そこでまた変動要素が云々、の追加情報を俺はそこで得たわけ。ニュースもロクに見ないからその中年の情報ソース、ノーフィルタリングで完全に正しそうに思えてしまったわけなのだが、さあどうするよ。

 

株価や今の手持ちの株の変動を見るのすら面倒でもうダラダラとしてしまうわけだが、目ぼしい銘柄を、昔のメモランダムから掘り起こしてみた方がええんちゃうか。株マガジンの付録にあった優待品一覧をパラ見していたほうがええんちゃうか、あ、でもふるさと納税でええもん仰山頼んだしな、なんてことを考えていたら眠くなってきたので寝ます。

こんな遅くまで起きていて、ママが帰ってくるのが遅かったから、寝る前は本を読んでほしかった、でも早く寝ないといけないから、そこにおいてある本にしておきなさい、が聞けなくて泣き叫ぶ、それを聞いてパパの形をした男性が怒鳴り散らして喉を痛めている、こんな状況に追い込んだのはすべて顧客で起きたトラブルが原因で、システムが引き起こす不具合が原因で、共働きで家庭を維持するということが事実上不可能になっている社会システムが問題で、何かを殺したとしても解消できる怒りではなくて、子育てをそもそもどうやって実現したらいいかがわからない、自分自身も母親に感情に任せて怒鳴られた経験しかないのだから、正しく人間として機能できているかもわからない、他人との親密な交流や健全な興味を抱くことができない、気晴らしをして帰ってきても現実を目の当たりにして以前は我慢できていたはずの日常に我慢ができなくなってしまう、もう死んだ方がいいのではないだろうかと、残される側の悲しみや喪失感を無視するなら、それが自分ができることを限界までやりきった後での感想ならば仕方がないのだけれど、やりきるほどの力が残されていなくて、ようやく回復したところなのに、頭に血が昇ってすべてを台無しにしてしまう、そもそも妻にたまには会社のママ友同士で飲んできてリフレッシュしてきてほしいと思ったにも関わらず顧客先でトラブって飲み会に行けなかっただなんて、それで子供はママに早く帰ってきてほしかったのに、なんて言ってパパも会社の仕事をしながらしか片手間に子供を見ることしかできなくて構ってほしいのはわかっているのだけれど、なんかもう今心臓が痛い、怒りと不条理の行き場が無さすぎてそろそろおかしくなるんじゃなかろうかと、先週末リフレッシュできたからよかったものの、できてなかったらホントに死んでるか犯罪者になってたよこれ、っていうほどの危機感を誰にどう届ければ何が改善するのか?

 

楽しいか?

子育ての方法もわからず、途方に暮れ、しまいには誰とも話したくなくなる。本当に子供が理由なのかなんなのかわからないが、パパはまるで死んだ魚のような目をしながら、いきなりステーキや天下一品でランチをしているよ。鬱々としながらも食欲はあるあたり、単にすべての義務や責任を投げ捨てたいというだけだ。

 

すべてのことに意味が感じられない。会社にいくことも、仕事をすることも、いうことを聞かない子供の躾をすることも、将来について考えることも。楽しいとか、嬉しいとか、自分の基準で何かを感じたり選びとったりすることができなくなっていて、それは今に始まったことではなくて生まれたときからそうだったように思う。

 

周りの顔色を伺ってヘラヘラと笑い過ごす自分に、表面上であれまともに接してくれるのは何でなんだろう。心が病んでいることに誰も気付かないのかな?人と顔を会わせるのがめんどくさい、ただし、仕事の話ならばいいのだけれど。人となりや私生活に死ぬほど興味がなく、言葉を発することすら苦痛に感じる。

 

旨いものを食う。たしかに、それは人とか変わらなくてすむ唯一の私利私欲を満たす行為のように思える。何かあったときに備えて、金のかかる趣味を持つのは止めよう。他人ありきの娯楽は期待値との解離が発生するから持たないようにしよう。

 

生まれてからほとんど映画を見ることがなかった自分は他人の人生に興味を持つという人間的な心が全くもって育たなかった。今持っているタスクを手放すこと、それ以外のことはどうでもいいと本気で思っている。 誰にも共感せず共感もされない人生をこれ以上続けることに何か意味があるのだろうか?完全に心が死んでいる。

 

心が死んでいる旨をどなたに報告すればよろしいか?社会的な価値を下げる人間が発生しようとしていることを世間が関知し排除または治癒することが健全ともとれるし、なにもしないのが正解とも取れる。犯罪もおかさない、他人を傷つけることもない、そういった人間がまた一人闇を深めてどこまでも沈もうとしている、人との関わりを絶とうとしている。

 

ある意味では、俺はすべてを終えた。安定した収入、家族、ルーティン化された生活。それに伴って捨てることを選んだ無謀な夢、願望。今ある生活に少しでも満足し幸せを感じられるようにと忍耐を鍛え、幸せや刺激を追い求めることもやめ、老いていく心。あらゆる作業をこなし、諸々のバランスを取る生活を日々送り麻痺していく心。誰にも、自分のことを話せない、悩んでいるかどうかもわからない。

 

仕事で成果を出す、人に頼られる、人脈を増やす、何の意味がある?何が楽しいか?

クズ山クズ男の日記

良き夫、良き父であろうとする努力を、今すぐに止めよ。

良い企業人、良い社会人であろうとする努力を、直ちに止めよ。

 

自分の都合の悪いことが起きたら、目ェひんむいて怒り狂え。

どんなささいな事も、思い通りにならへんかったら、わめき散らせ。

 

思いやりなど捨てよ、たかが他人に対して親切にする無意味さを知れ。

目につくものすべてに当たり散らせ、我慢をするな、耐えるな。

 

目につくものはすべて資源や、使い倒せ、絞り尽くせ。

決して搾取される側に回るな、搾取する側、操る側に回れ。

 

何もかも限界やと思ったらすべて捨てよ、関係も、信頼も。

他人のため、未来のための我慢は何も意味がない。

 

裏切られるくらいなら、最初から人を信じるな。

失うくらいなら、最初から何かを得ようと思うな、夢を見るな。

 

愛されると思うな、愛すな、意味がない。人を利用することだけを考えよ。

自己紹介を求められたら、背筋の凍るような発言でドン引きさせろ。

 

嫌われろ、避けられろ、引かれてなんぼの商売や。

物事に価値や意味を求めるな、優劣をつけるな、すべての判断と比較を止めよ。

 

買いたいものは万引きしてでも買え。食いたいものは食い逃げしてでも食え。

親の顔に泥を塗れ、人の善意を嘲笑え。何も、信じるな。

 

これが、仕事に、家事に、育児に、頑張った結果クズ山が見いだした答えや。

行政も、世間も、会社も、制度も、俺の心身の疲労を和らげるのに何の役にも立たん。

 

すべてのことが他人中心で回っていく。自分を差し置いて優先すべき期日が多すぎる。

 

会社の都合、家庭の都合、子供の都合、社会の都合、それらがすべて自分の都合を圧し殺して優先されようとお互い独立にひしめき合って、自分という唯一無二のリソースすべてを食い荒らし、お互いの状況が見えないから全員がもっともっとと声高に叫び続けて留まることを知らない。誰も助けてはくれない。助けを求める先もない。

 

会社の利益のため、顧客の満足のため、子供の成長のため、妻の負担を減らすため、社会に貢献するため、自分を犠牲にして日々成長、ありとあらゆる要求に応えるための時間と労力を割いた結果がこのクズ山よ。