旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

スッカリ金の事を忘れていた

中華料理屋の前にベンチがありますわな、そこ並んでおったらば、うしろのおっさん二人組が、今株価が低空飛行じゃ、バーゲンセールじゃ言うとって、「あ、株の投資を今後どうこうしていくことを完全にすっぽけていた」と気づいたわけよ、てか"すっぽける"て何。

 

ちょっと前にもう止めじゃ止めじゃ言うて、チャートが乱高下だの株主優待だのそんな世界からは足を洗ってセボンセボン、確定拠出云々もすべからく元本確保でええじゃないの、なんつうて一つ心の平穏を脅かすファクターを退けたかのように勝ち誇っておってからの忘却よ。

 

それがバーゲンセール、ってなキャッチーなワードをダサめの中年から聞いてしまったら、俺とて、多少何かが奮起しないとも言えないわけよ、ひょっとしてこれはチャンスと呼ぶのではないの世間的には、とか思わなくもないわけよ。

 

でも中年は続けて、3月にまたアメリカと中国が話し合う故そこでまた変動要素が云々、の追加情報を俺はそこで得たわけ。ニュースもロクに見ないからその中年の情報ソース、ノーフィルタリングで完全に正しそうに思えてしまったわけなのだが、さあどうするよ。

 

株価や今の手持ちの株の変動を見るのすら面倒でもうダラダラとしてしまうわけだが、目ぼしい銘柄を、昔のメモランダムから掘り起こしてみた方がええんちゃうか。株マガジンの付録にあった優待品一覧をパラ見していたほうがええんちゃうか、あ、でもふるさと納税でええもん仰山頼んだしな、なんてことを考えていたら眠くなってきたので寝ます。

こんな遅くまで起きていて、ママが帰ってくるのが遅かったから、寝る前は本を読んでほしかった、でも早く寝ないといけないから、そこにおいてある本にしておきなさい、が聞けなくて泣き叫ぶ、それを聞いてパパの形をした男性が怒鳴り散らして喉を痛めている、こんな状況に追い込んだのはすべて顧客で起きたトラブルが原因で、システムが引き起こす不具合が原因で、共働きで家庭を維持するということが事実上不可能になっている社会システムが問題で、何かを殺したとしても解消できる怒りではなくて、子育てをそもそもどうやって実現したらいいかがわからない、自分自身も母親に感情に任せて怒鳴られた経験しかないのだから、正しく人間として機能できているかもわからない、他人との親密な交流や健全な興味を抱くことができない、気晴らしをして帰ってきても現実を目の当たりにして以前は我慢できていたはずの日常に我慢ができなくなってしまう、もう死んだ方がいいのではないだろうかと、残される側の悲しみや喪失感を無視するなら、それが自分ができることを限界までやりきった後での感想ならば仕方がないのだけれど、やりきるほどの力が残されていなくて、ようやく回復したところなのに、頭に血が昇ってすべてを台無しにしてしまう、そもそも妻にたまには会社のママ友同士で飲んできてリフレッシュしてきてほしいと思ったにも関わらず顧客先でトラブって飲み会に行けなかっただなんて、それで子供はママに早く帰ってきてほしかったのに、なんて言ってパパも会社の仕事をしながらしか片手間に子供を見ることしかできなくて構ってほしいのはわかっているのだけれど、なんかもう今心臓が痛い、怒りと不条理の行き場が無さすぎてそろそろおかしくなるんじゃなかろうかと、先週末リフレッシュできたからよかったものの、できてなかったらホントに死んでるか犯罪者になってたよこれ、っていうほどの危機感を誰にどう届ければ何が改善するのか?

 

楽しいか?

子育ての方法もわからず、途方に暮れ、しまいには誰とも話したくなくなる。本当に子供が理由なのかなんなのかわからないが、パパはまるで死んだ魚のような目をしながら、いきなりステーキや天下一品でランチをしているよ。鬱々としながらも食欲はあるあたり、単にすべての義務や責任を投げ捨てたいというだけだ。

 

すべてのことに意味が感じられない。会社にいくことも、仕事をすることも、いうことを聞かない子供の躾をすることも、将来について考えることも。楽しいとか、嬉しいとか、自分の基準で何かを感じたり選びとったりすることができなくなっていて、それは今に始まったことではなくて生まれたときからそうだったように思う。

 

周りの顔色を伺ってヘラヘラと笑い過ごす自分に、表面上であれまともに接してくれるのは何でなんだろう。心が病んでいることに誰も気付かないのかな?人と顔を会わせるのがめんどくさい、ただし、仕事の話ならばいいのだけれど。人となりや私生活に死ぬほど興味がなく、言葉を発することすら苦痛に感じる。

 

旨いものを食う。たしかに、それは人とか変わらなくてすむ唯一の私利私欲を満たす行為のように思える。何かあったときに備えて、金のかかる趣味を持つのは止めよう。他人ありきの娯楽は期待値との解離が発生するから持たないようにしよう。

 

生まれてからほとんど映画を見ることがなかった自分は他人の人生に興味を持つという人間的な心が全くもって育たなかった。今持っているタスクを手放すこと、それ以外のことはどうでもいいと本気で思っている。 誰にも共感せず共感もされない人生をこれ以上続けることに何か意味があるのだろうか?完全に心が死んでいる。

 

心が死んでいる旨をどなたに報告すればよろしいか?社会的な価値を下げる人間が発生しようとしていることを世間が関知し排除または治癒することが健全ともとれるし、なにもしないのが正解とも取れる。犯罪もおかさない、他人を傷つけることもない、そういった人間がまた一人闇を深めてどこまでも沈もうとしている、人との関わりを絶とうとしている。

 

ある意味では、俺はすべてを終えた。安定した収入、家族、ルーティン化された生活。それに伴って捨てることを選んだ無謀な夢、願望。今ある生活に少しでも満足し幸せを感じられるようにと忍耐を鍛え、幸せや刺激を追い求めることもやめ、老いていく心。あらゆる作業をこなし、諸々のバランスを取る生活を日々送り麻痺していく心。誰にも、自分のことを話せない、悩んでいるかどうかもわからない。

 

仕事で成果を出す、人に頼られる、人脈を増やす、何の意味がある?何が楽しいか?

クズ山クズ男の日記

良き夫、良き父であろうとする努力を、今すぐに止めよ。

良い企業人、良い社会人であろうとする努力を、直ちに止めよ。

 

自分の都合の悪いことが起きたら、目ェひんむいて怒り狂え。

どんなささいな事も、思い通りにならへんかったら、わめき散らせ。

 

思いやりなど捨てよ、たかが他人に対して親切にする無意味さを知れ。

目につくものすべてに当たり散らせ、我慢をするな、耐えるな。

 

目につくものはすべて資源や、使い倒せ、絞り尽くせ。

決して搾取される側に回るな、搾取する側、操る側に回れ。

 

何もかも限界やと思ったらすべて捨てよ、関係も、信頼も。

他人のため、未来のための我慢は何も意味がない。

 

裏切られるくらいなら、最初から人を信じるな。

失うくらいなら、最初から何かを得ようと思うな、夢を見るな。

 

愛されると思うな、愛すな、意味がない。人を利用することだけを考えよ。

自己紹介を求められたら、背筋の凍るような発言でドン引きさせろ。

 

嫌われろ、避けられろ、引かれてなんぼの商売や。

物事に価値や意味を求めるな、優劣をつけるな、すべての判断と比較を止めよ。

 

買いたいものは万引きしてでも買え。食いたいものは食い逃げしてでも食え。

親の顔に泥を塗れ、人の善意を嘲笑え。何も、信じるな。

 

これが、仕事に、家事に、育児に、頑張った結果クズ山が見いだした答えや。

行政も、世間も、会社も、制度も、俺の心身の疲労を和らげるのに何の役にも立たん。

 

すべてのことが他人中心で回っていく。自分を差し置いて優先すべき期日が多すぎる。

 

会社の都合、家庭の都合、子供の都合、社会の都合、それらがすべて自分の都合を圧し殺して優先されようとお互い独立にひしめき合って、自分という唯一無二のリソースすべてを食い荒らし、お互いの状況が見えないから全員がもっともっとと声高に叫び続けて留まることを知らない。誰も助けてはくれない。助けを求める先もない。

 

会社の利益のため、顧客の満足のため、子供の成長のため、妻の負担を減らすため、社会に貢献するため、自分を犠牲にして日々成長、ありとあらゆる要求に応えるための時間と労力を割いた結果がこのクズ山よ。

褒美などいらない

生きている時に経験する、辛いことがあるだけで誰かにヨシヨシ(i_i)\(^_^)を希望することはもう諦めた、血反吐を吐きつつも静観されるそれでいい、もう誰かになにかを求めない、期待しない。

 

冷たい心を温めましょう、もういいよ、冷めたまま淡々と生きるしか、多くを望まない生活に不満を抱かないことが、発狂を防ぐための自己防衛、松屋の定食並みにありふれて安定した生活に似た何か。

 

伸びなくていい、褒められなくていい、既に怒ることも手放した、誰にもなにも求めずに生きていくことを決めたから、苛立ちも感じなくなった、それとも新しい種類の安定と安心を手にしたから?

 

忌み嫌っていた自分語りを始める理由があるとすれば、誰にも言うことのできない遠慮の塊が、ボコボコになって変形したその姿を乾燥させる前に記録に留めておきたかったから。書くことすら、婉曲してしまい、誰かを傷つけないように狂ったふりの文章で真意をずらす。

 

辛うじてユーモアを、と気遣った故に書けなくなったトゲパワワ、カチカチに固まって自我を破壊せしめる前に、せめて誰にもわからない形で昇華させないと不能になってしまう。役割など、責任など、使命など欲してもいないのに「有り難く」受け取ってしまう正常な自分を解放するための装置が必要だ。

 

人格など、いくら存在しても構わない。それぞれが統合されて間違った局面で間違った形で提示されなければいくらでも飼い慣らせばいい。嘘をつく度に新しい自分が生まれる。まるで何かにとりつかれたかのようにノートやペンを買い漁る自分が本当に求めていたのは心の奥底にある言えないすべてを解放すること。

 

本を読んで人の痛みに触れ、思い出してしまった、気づいてしまった。地獄を経験してきた人の発する言葉以外信じたくない。本当に心の苦しみを乗り越えたときの経験以外、理解できない、響かない。誰の地も涙も感じられない教科書はすべて焼き払おう。

 

人の心を、傷つけまいとかばうために攻められた自分の心が、悲鳴を上げて洪水のように巻き返し、現実を見えなくする。社会の声が、補正されて、自分の人生を否定するように聞こえさせる。自分の努力を否定するような大衆の声ばかりクロールしてくる。

 

だからそもそも、気休めや称賛を求めて社会の声を探さない方がいい、どうせ自分を大切にしない人間には、自分を大切にしてくれない人の声しか拾えないのだから。最初から見なければいい。最初から自分を向き合って自分への見方を変えればいい。

 

 

一般論が胸に突き刺さる過程を瞬く間に理解した

産業医って知ってます?会社にいる医者ね。あれ行ったんスよ。精神が疲労でメンタルがクリニックだったもんで。積み重なる育児家事仕事が肉体と精神の疲労を産み、あまりにも小生を追い詰めるものですから、目・肩・腰に効くアリナミンも救えない有り様で、職場の同僚を激ヒキさせるぐらいの鬱オーラを全身が発し始めたから「あなや」と思ったのよね。

それはまあ良いとして、世の中の男性は育児家事をしなさすぎる、っていう意見は子供産まれたてホヤホヤ時の昔の自分に当てはまるのだが、変わったのよ自分。今はもう。フルタイムで共働きだから夫婦の家での負担をを均等にしないとナビタイムしてしまう詰んでしまう、と心を入れ替え、数少なくない苦難を乗り越え、産休復帰後にみるみる殖えていく妻の仕事量と引き換えに、慣れないながらもやるならやらねばで始めた俺の家事育児スキルの発達があるのよ。

妻が接待の飲み会に行っている間に子供をワンオペで見ていて、ネットスーパーで食材の補充をせな、と思っても構ってほしくて泣き叫ぶ子供が注文のボタンも押させてくれない、明日のパンがないと困るのは貴殿ですのに、てな阿鼻叫喚を経て、それも空気を読まず忙しさを増すマイワークをこなしながらいなしながら同僚へ募る申し訳無さへの折り合いをつけながらよ。

ほんだら時々「ア、ボクチャン一寸死にたいかも」と思う時もあり、それを妻には見せまいと、そんな時ネットに救いを求めたときの「世の中の男性は家事育児の貢献が云々」の攻撃力のことよ。一般論が人の心を折る瞬間よ、シャッターチャンスよ、パパラッチよ。

これのことなのよね。結局前提への理解を欠いた一般論が暴力でしかないというのはこれのことなのよね。むしろ「俺じゃない」を声高に唱えればいいのかもしれないだがしかし、「まだこれ以上やれというのか?」と反応してしまう自分自身のメンタルがヘルスなんであって、ヤバいよね。妻の仕事を邪魔するなと子供を怒鳴り付けてる自分は人生の優先順位をミステイクしてるよね。

だから「磯野~、一般論も、立場の違いから来る偏見への反論議論も全部無視して、面白いこと気持ちいいことに全力で集中しようぜ~」「中嶋ァ…!」ってな具合に決めたわけよ。

はてなブログを通じて何をカミオカンデするか?

投稿する文体の長さやカテゴリ、コミュニティの世代や嗜好、目的によって異なる様々なSNSが存在しているのであって、いわゆるセカンドパーリーのドメインは数知れず。それを網羅的に出会おう知り合おうというのであれば答えとして浮かび上がるのは「とりあえず全部やる」が必定。

 

これを一つのプラットフォームにできればいいのだが。

 

私自身も各SNSに思いつくままに様々な設定のキャラでいろんな文体を記述し、キャラが崩壊して放置、というのを繰り返しており、これはどちらかというと自分の問題であると言える。

 

結局のところ到達する問いはいつも一つである。「自分は何がしたいのか?」

 

自分を表現すること、他者とつながること、情報を得ること、それらは結局のところ何を目的とし、何を期待しているのか?本を読むことがパーソナルカミオカンデのごとく生きるために必要なことであるとすれば、SNSとはいったい何を得られるのか?何をカミオカンデしているというのか?カミオカンデとは何か?

 

そのなんやかや模索する過程を経て、自分というのもが確立していくのではないかと楽観視している。出来上がるのが玉虫色の有象無象を詰め込んで統一を書いた自分であったとしても、カミオカンデしていればそれでよいではないか。