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旨いものを喰おう

喰いましょう。さぁ。

レッツ・オープン・ザ・パンドラ―ズ・ボックス

パンドラの匣っていうのは何が入っておるんやろうな。箱やないで、匣やで。それゃあ大層な装丁に、大層な中身がおわしますんやなかろうかと期待しますわな、それは何色なんやろうな、まともに対面できるんやろうかな、それに。

 

比較的簡単に脳内をぐちゃぐちゃにして土留色の思い出を掘り起こすんに相応しい方法としてのSNSがあるよな。いろんな基準で、いろんな逡巡を得て「友達リクエストを承認」したその集合体としての何かについて今話しているんであるよな。

 

やめとけばいいのに、っていつも思うのにやよ、結局。ああなっているんやな、あそことあそこが、何の因果か、いや、全部知ってたよ。そんな防波堤を作る己、もうやめなはれ。そんなことを糧にしてしか結局は生きられへん、という己らの矮小さを恥じるしかないよ。

 

幸せなんかな?と思うよね。何をもって「登録する」ボタンを押してしもうたんやろう。どんな気分なんやろう。何を表現し、何を見るつもりやったんやろう。ツモリチサトやろうか。嗚呼、

 

どうなっておるんじゃろうかの

あれだけの気概を持って、ヨボヨボの爺の脳味噌が張り裂けるくらいパンパンになって、さぁ、やったるで、わしはやってやるんやで、てな具合で始まって、やってくる雑務に気を取られんようにしながら、消えそうになっても手で囲って小さな炎を絶やさんと気を使いながら、ここまでやってきたはずなのによ。

 

頭ン中ではじけておった、あれもやりたい、これもやりたい、のリストが少しずつ少しずつ萎んでしまって、今はもう干からびたカイワレ大根のようになっとるよの。のうなってしまったんじゃ。何もかものうなってしまったんじゃ。

 

わしは何にもわからん。なんでそない張り切っておったのかを。なんでそないいろんなことをやろうとしておったのかを。なんで秒速で1億稼がなあかんのかを。何にもわからんようになってしまったんじゃ。

 

雑念が多すぎるんやろうか。雑事が多すぎるんやろうか。一つのことをまとまって成し遂げるだけの集中力とまとまった時間があらない。せやから、録画したさまぁ~リゾートやなんかを見ながら、アマルフィ、とか思っとるのが今なんやで。今日は何をしようかの。

私の頭の中のシナプス達

どないなってるのかわからんのですけど私の頭のシナプス達、ダメなんですよね、体言止めが圧倒的に、コレなんでなんですか。断言が、自分はできないんですよね。だから断言する口調に出くわしてしまうと、OYOよ、なんつって思っちゃう。

 

ところで、癒し、とか、よく言うじゃないですか。あれって、どこでやればいいんですかね。どこでどんな体制で癒せばいいんですかね。己を。その時の心の動きはどないなってるんですかね。

 

難しいんじゃないでしょうかね。なかなか、アウトプットができておらない。正直に自分の思うておることをアウトプットするということがすこぶるムズイのでおわしやがります。

 

坊ちゃんもそりゃ怒りますよね。赤シャツの野郎、なんつうて。理由はわかりませんけど。自分が赤シャツなんじゃないかと。そういううがった見方をしていてはいけませんわな。

 

女性、というワードね。これちょっと自分が病気なんじゃないかと思うんですけど、それ、見ると、もうあかんのですわ。徹底的にあかんのんですわ。その文脈でそのワードを出すって行くことは、それ村意識でてない?人類の50%に対して村八分いてこましたるモードに入ってない、それって村二分じゃないんのん、ねぇ著者?ってな具合でね、被害妄想が爆発してもうあかんのんですわ。

 

生きにくいのかもしれませんわな。これゴォルデンウィィク中に治りまっしゃろうか。そのために必要なのが自分の正直な心をどこかにアウトプットすることだとその本には書いてあるんでおますけど、そのアウトプットができておらないというのが、先ほど申し上げた状況の通りなんでおまっしゃりますわ。

与太トーーク

ウイークがゴールデンなのであるから、黄金なのであるから、あるからして、毎年やってくるこの季節に期待されるメタモルフォーゼ的な何かは例年どのような収穫を見せているのであろうか。振り返る、ということをどうもしておらず、うまく行っているかどうかの効果測定が欠けているしていないのではないだろうか。PDCAがそらぁもおピタッと止まっておりサイクルしておらない。

 

アドのセンスやアフィリのエイトでチマ・チョゴリの如くティマリティマリと胡麻のように積み重なったそれらは数百円という金額を叩き出した圧倒的なオチョモチョモなのであるからして、それでは生活に潤いを与えるに至っておらず、砂漠に塗り付けるぺぺのようなものよの。成功とは何なりや?難しきこと哉、頭を良くしてあげよう?

 

どうしたら勤務。専務は何に専念しているのであろうか?ソロリソロリと現実を抜け出して夢うつつの世界でほのかなる宴を繰り広げるためにはどうしたらいいのでアロワナ?「ウワァ。」決して、悪用しないでください。分不相応なのではないだろうか。難しい本を読んで、汝を高い高いのステージへ繰り広げようとするその試みが。スポーツ新聞で十分なんでないの。

 

ナヨナヨとした味のアイスを作る。失念と失意の味がするのであって、デザート。そういえば今日ブルーボトルに行ったよ。ドラえもん。ここではファッションが重要であるみたいだ、そら、そこもかしこも気を配られた衣服。この人たちに囲まれて空気を吸っていたら、きっと良い波動をもらえるよ。ホラ、成功はすぐそこに。

アドセンスされたところの意味をどう考えたらいいのか?

エンジニアが足りないと広告枠から顔を覗かせるAdSenseがワタクシにアドセンスしているようだが、なぜ今それをワタクシめがけて一直線にアドセンスしているのかは到底わからないけれども、懸命にアドセンスされたところでその足りなさを補充できる何かを自分は何一つ持ち合わせていないことの残念さ。

 

何故足りないのだろうか?足りたらいいのに。需要と供給のどうのこうの考える前にまず思いたいのは、足りればいいのに。足りないと思うから足りないのだよ。いいたいのは「本当に必要か」、アドセンスする前にそれは本当なのですかと、事実なのですかと、思いたいけれどもすぐにどうでもよくなってしまう。アドセンスされた内容について考えたらそれは敗北だよ。白旗だよ。祝日に挙げるあの旗と同じかよ。

 

「2分でワカル○○」、とアドセンスされても、え、ちょっと待って、別にわかりたくないんですけど。さあ、これを理解してください、と言われても理解の望んでなさが言うまでもなさ過ぎて、当たり前のように前面に出てきてもうまったくアドセンスされている意味がわからない。何故理解しないといけないのか?ということがわからないのである。

タラタラ生きているのは誰なのか

タラタラ生きているからこういうことになるんやないのんか?袋の中にはマーブルチョコのオレンジのやつが4個、奇跡的に同じ色が4個食べかけの袋で残っていた、今は1個だけ残っているよの園。

 

ウインドウズ8は起動が早くていいので思考錯誤の邪魔をされる前にこうして文章に記録できるんだが、ノートパッドのアクセスの仕方に工夫がいるのにその工夫を解り知るに到達できていなくて、ファイル名を指定して実行してからの「notepad」で辿り着いた今忘れないうちに書くのだよの園。

 

何の話だっただろうか。もう忘れた。だからほら、思考の記録が表現が間に合わない。こうなるのだわ。勿体無いお化けが出る。本来書かれるべきは見たまま編集の画面に直接文章を挿入したいのだがそれを阻むERR_INTERNET_DISCONNECTEDを早く解いてくれよ。

 

解いてくれたから今このお披露目がきっと完了しているのだよ。オレンジの1粒を今噛みしめたのだよ、MARBLE CHOCOLATE と書かれているその一文字一文字が違う色で書かれていて虹かと思う。虹なのだな。俺は虹を食うているのだな今。

 

花が咲いている。活けられている。何故活けるのか。何故この花はここに活けられるに至ったのか。○○流の活け具合の良さを解り知るに至っていない自分の利休に口出しする資格のなさ、基、利休は全くの関係がない門外漢であり、まだ何を書こうとしたのかを思い出せない。

 

そうだ、音楽を、生業としている人は、文章が踊っていて面白いのではないか、そういう仮説、みんな大好きマッキンゼーもびっくりの仮説を思いついたのだが。それに至った仮説思考の正しさ検証もせずに、誰がタラタラ生きているのかと、その苛立ちの原因が何であったのかを忘れるために土日は存在するのではないかというまた新しい仮説が今ここに現れてしまったのではないだろうか。

これからも旨いものを喰おう

文章を、長々と続けたくなるの、なんとなくわかる、というか、久々に、そういう文章に出会って、触発されて、ああ、これこれこのユーモアだか、なんだか、脱構築っつーの、そういうの忘れないようにしたいよね的な開眼。再燃。原子風景。あ、これでよかったんだなと。

 

なんとなく小説を読んでないと心が腐ってるんじゃないかという気になって、でもドラマとか小説とかホント無理で、結局、エッセイとか読んで無感動な"フーン"的手ごたえに終始するのであるが、それが時たまズドーンと刺激を与えおる、与えてきよる文章がそれでも存在するんだよの賞賛。

 

どっかで読んだ、句読点で文章を区切れないのは、物事の決断ができない、優柔不断、考えがまとまらない、白黒はっきりしない、ダメ・ゼッタイ、イジメ・カッコ悪い、by前園的なことが書いてあって、その通りだと思った。よしよしそれでよい、ならばそうと知った上であえての踏襲としよう。

 

それを地で行っている人に会うと安心する、ていうか句読点を多くすると、一文が短くなって、主義主張が際立っちゃう、そう捉えられちゃう、いろんな解釈ができるように一文という「箱」になるべくいろんなものを詰め込みましょうね。玉虫色にしましょうね。お役人さん弁当の出来上がり。こういう意味のない比喩や脱線は短文でいい、なぜならそれは主張ではないから、

 

断定口調で文章を締めるのがどうしても抵抗があり、自分の内部からいろんな抵抗があがってきて、もうてんやわんやなわけですよ。参りますね、ところで、発端ですが、以下の本を読んでいいなと思いました。

 

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫)

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫)